悪のほそ道~発達障害 アニメとプロレスと阪神を語る

発達障害の病状やら貧乏サバイバルやらアニメの感想やらプロレス感想、阪神タイガース感想などいろいろやります。

岡田麿里よ、長井龍雪よ、小川正和よ、やりたいことが出来て満足か?

正直、わたくし怒っています。

何なんでしょうね4クール目の体たらくは。


滅びの美学をやりたいとか、敗北を描きたいのはわかるんですわ。
けどね、あんたら本当に自分が作った作品の魅力を把握してたか?って話。


鉄華団にそんな力がなかったと言いたいのは分かりますよ。

しかしですよ?彼らはこの3クール何をしてきた?
巨大かつ強大な敵に対し、知恵を絞ってギリギリの状況の中で
時には出し抜き、裏をかき、上を行き続けてきた連中のはずであった。

マクギリスだってそう。
奴にしても裏で色々手を回し、権謀術数を駆使して
搦め手を使い、のし上がってきたはずだった。

アリアンロッドの力を描くのはいいとしよう。
しかし、それをやるにはぶっちゃけ無理な状況だったんじゃないのか?
で、出した結論がマクギリスの無能化と鉄華団の骨抜き化か?
アホとちゃうか?誰が得すんの?

あのな、やりたい物語のためにキャラ改変するのほんまやめえやって言いたい。
おりあそが言っていたかよちんの米キチとかより数億倍ひどすぎるぞこれ。

小川よ、お前はビルドファイターズトライの失態を忘れたか?
バエルに関して、何かとんでもない仕掛けがあるか?>何もありませんでした。
マクギリスは火星で何を仕掛けた?>何もアリませんですた。
伏線張って置いてなにもなしの繰り返しされたらファンもいい加減キレることぐらい
わからないのか?

あとダインスレイフ。
アシムレイトの反省を全くしてなかったのかあんたは。
世界観崩しかねないクズ設定まじやめてくれ。

もしかして裏をかいてやったぜベイビー!とか思ってないか?
それな、性格の悪さが伝わるだけで何にも響きやしねえから。

ほんま、やるべきことをちゃんとしてください。
正義のギャラルホルン(笑)とかツイッターで寝言言ってないで
強大で巨大な相手を向こうに回してもその上を行く鉄華団の物語に徹してください。

ちゃんと物語を紡いだ場合、
マクギリスは大いなる制御不能の厄災と化して厄災戦の再発の元凶となるか
ギャラルホルン全掌握で独裁者になるかのどっちかしかなかったはず。

ハッキリ言うけど、この段階、やりたいことではなくやるべきことを
やるべきだったんではないんですか?

そのこともわからないなら、小川プロデューサー、
あなたは今度ガンダムをやるとき、プロレス以外やらないでください。

多様性(笑)十人十色(藁)

さーてフルスロットルでタップが滑ります。

SNSとかで大抵反論として多種多様とか
十人十色とかを黄門様の印籠のように
持ち出してくる奴はうんざりするほど
存在します。

何度もやり合って分かるのは
みんなまとめて頭空っぽってことでしょうか。

つまり何にも考えてないの丸わかり。

まあ例外で言えばブログとか
フェイスブックの当人のタイムラインに
わざわざ乗り込んでクソリプかます
空気読まないバカに対しては少々は許されますが
そこは空氣嫁で終了させておけばいいのであって。
やはり多様性、十人十色は適切では
ありませんな。

ただ来た球打ち返そうとして空振りしてる
だけの積極的を勘違いしてるバッターな
だけなんでそこはピシャっとやっておいた方がいいんでないですかね?

リアルの会話って割とオブラートだらけ

また訳のわからんことを。

例えば同じ説得力のある台詞を言います。

いかにもご立派そうな人と
しょぼくれてそうなオーラのない人とでは
どっちの話を聞きますか?という話。

例えば電車の中で悪いやつに注意した場合
屈強な人なら聞きもしましょうが
ひ弱な人間は返り討ちですよね?

つまり、見た目とかオーラとかで
おんなじ台詞言っても意味合いが
変化してしまうのがリアルのやり取りなんではないでしょうか?

どちらかというと、ネットの会話の場合
割とオブラートもなくそのままの言葉で
やり取りする訳ですからぶっちゃけ
簡単とか楽っていうのは言い方悪いんですが
人の心を把握しやすいっちゃーしやすい部類だと
思いますね。

いかにも詐欺って文も文章だけなら見破りやすいというか。

まあこういう感じ方ですね。

あんまり人の話を聞かない人の話

んー、何と言いますか。

 

例えば

A「同じ言葉を言った際、

例えばいかにもショボそうな人間と

いかにもご立派な人間が喋ったとでは

その説得力に差が生じる。

リアルの会話はいろいろなオブラートが

多いので真意の伝達も大変」

というと

B「ショボそうな人間でも言葉1つで

説得力がある」

と返すわけです。

 

はい。BはAの話の全く聞いていません。

 

Aにしたら「そういう話じゃねえよ」

となります。

 

こうなりがちな理由の一つに、

「コメント入力に脳のリソース全部

使いすぎて人のコメント読むリソースが

欠落しているのではなかろうか」

というのがあるように思います。

 

大山倍達言うところの

「技は力の中にあり」

というように、やはり脳の体力がないのではないのか?と思うのです。

 

脳の体力というのは

「スタミナ、リソースの多さ、耐久力、

思考する際のトルクなどなど」

と言ったところでしょうか。

 

わたしは、リソースと耐久力がないから

たまらず論点を無意識にすり替えてしまうことで脳を防御してしまうんだなと

考えています。

そうしないと自分の脳が耐えられないから。

 

まあ、本能的防御ですね。

 

そういう人はああ、脳が弱いのだなと

生暖かく見守ってあげればいいと思います。

度が過ぎたらダメですが。

SNSとかでの喧嘩の話

確かに平和に過ごせればそれに

越したことは

本当にないと思います。

 

しかし、やはりどうしても

争いは避けて通れない場面って

少なからずあるように思います。

 

ええと、わたしもよく経験はします。

 

ネットの中での争いで常々思い知るのは、

 

「あんた、今俺が蛇に見えたか。」

「ああ、蛇だろうが!」

「ならあんたが蛇なんだ。

ネット上の喧嘩は鏡を見るようなもの、

相手の心理を読むつもりが、

いつの間にやら自分ならどうするかを

考えている。」

 

これはうろ覚えの引用ですが

カイジのEカードでカイジが利根川に

トドメ刺したときのやり取りです。

 

何が言いたいかというと、

「相手の揚げ足を取ったつもりが、

いつの間にやら自分がその道化を演じていることに氣がついていない。」

 

こういうことなんですね。

 

誰でも陥るのではないでしょうか?

 

なので、

 

ネットで争いになった際は

「自分の鏡を見て話している状態にある」

ことを常に念頭に置いて

一呼吸入れて途中文章を読みつつ

対処していけばいいと思います。

 

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